長崎街道
鎖国下、江戸時代の海外情報や文化を日本に、また日本の情報や文化を外国に伝えた道。
長崎街道は、江戸時代に長崎から小倉を結んだ街道です。
鎖国の中、ヨーロッパとの唯一の窓口であった長崎に入ってきた情報をいち早く江戸に伝え、また日本の情報を海外に伝えた街道です。
市内を通る街道は全長15km にわたり、本陣のある大村宿、鍛冶の町松原宿がありました。
街道周辺には武家屋敷跡や神社仏閣など多くの文化財がのこっています。
諫早市との境の鈴田峠は当時の景観がよく残っている箇所として、平成8年(1996年)に文化庁により「歴史の道百選」に選ばれています。
「歴史の道百選」の鈴田峠
大村領と諫早領との境の峠で、当時の景観が良く残っている箇所として、文化庁「歴史の道百選」に選ばれています。
山中には大名などが往来した際に、籠を下ろして休憩したといわれる駕籠立場(かごたてば)の跡や藩境石などを見ることができます。
住所:大村市中里町
「大村宿」と街道風景
大村宿は、現在の中央商店街本町アーケード沿いにありました。
高札場や大名などが宿泊する本陣、幕府役人が泊まる脇本陣のある大きな宿場で、本陣には捕鯨で有名な深澤儀太夫勝清の屋敷が使われるなど、本町を中心に大村藩の経済の中心地として栄えました。
住所:大村市本町